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001 - 1970年代後半からから現在までのアパレル史

「アパレル」とは、もともと英語の古語で「衣服」のことですが、産業界ではアパレル産業、洋服の製造業のことをアパレル・メーカーと呼んだりします。
もともと着物を着ていた私たち日本人が日常着として洋服を着るようになってから、まだ100年余。敗戦後の復興期を経て、他との差別化や自己主張をしたいと本格的にファッションに目覚めたのは1970年代に入ってからだろうと思います。


1970年代後半

高度成長期は、人々の消費意欲も旺盛で、いわば作れば売れる時代でもありました。
洋服には「着る」というモノそのものの価値が前提にありますが、モノとしての量的な充足を満たすと、ただ着るためではなく、もっと心理的なもの=感性を満たす部分、美しさやかっこよさを求めるように人々の意識は変化していきます。
こうした流れの中、モノでありながらモノでないソフトの部分、いわゆる感性を刺激するものが注目され始めました。当時の服飾業もこの流れの中で高付加価値化され、いつしか「ファッションビジネス」と呼ばれるようになりました。
 
ファッションにおける高付加価値化とは、デザインの革新であり、その中から、三宅一生(イッセイ・ミヤケ)、森英恵(ハナエ・モリ)、山本耀司(ヨウジ・ヤマモト)、川久保玲(コムデ・ギャルソン)、松田光弘(ニコル)、金子功(ピンクハウス)、山本寛斎(カンサイ・ヤマモト)、高田賢三(ケンゾー)、菊池武夫(ビギ)、花井幸子(マダム花井)等々、新しい時代のデザイナーたちがデビューを果たしました。彼らは、雑誌「an.an」(1970年創刊。その他「non-no」1971年、「JJ」1975年、「popeye」1976年)などで取り上げられ、それ以前はオートクチュール(フランス語で、「高級衣装店」の意。もともと世界の上流階級の個人を顧客としたオーダー・メイドを専門としていた。)に始まり、パリコレのプレタ・ポルテ(既製服をこと。)中心だった既存のファッション界に新風を巻き起こす結果となりました。いわゆるDCブランド(=デザイナーズ・キャラクターブランド)の誕生です。

東京では原宿がファッションの街として注目を集めるようになりました。気取らず、自分の着たい服をパリコレより安く、自分のセンスで着こなしたい・・・といった当時の若者の意識の高まりから支持されたのでしょう。以降、ファッション業界はそういった時代の追風に乗り、多様性と個性化の時代へと向かうことになります。


1980年代

80年代は、カラフルな色彩が飛び出し、デザイナーたちの才能が次々と花開いた、明るく元気な時代でした。プレタポルテ型婦人服メーカーの全盛で、ファッション業界の規模が急速に拡大し、世界中の女性たちが美しくなりたいという願望を抱き、経済が繁栄しました。当時流行語にもなった糸井重里氏の西武百貨店のコピーをいくつかあげれば、「じぶん、新発見。」「不思議、大好き。」「おいしい生活」などがありますが、まさにその時代の気分を反映していたといえるでしょう。
海外では、クロード・モンタナ、アズティン・アライア、ティエリー・ミュグレーの3人のパリコレデザイナーによるメリハリの利いた肩の大きな逆三角形のボディコン(ボディコンシャス)が流行しました。また、マドンナやジャンポール・ゴルチエによりコルセットなどのランジェリーがファッションとして表現されるようになりました。

日本では85年には東京モードの発進拠点として日本を代表するデザイナーが集まり、東京ファッションデザイナー協議会(CFD)が設立されました。この頃、主にパリのエッセンスを取り入れたブティックが表参道や代官山などに次々とオープンしていきます。
日本におけるファッションは、舶来品から始まって一部の愛好家のための高額品であった長い時代を経て、海外ブランドの影響を受けながら数多くの個性的なデザイナーを輩出し、一般に広がって発展していきました。


1998年〜1991年バブル期

85年にプラザ合意(ニューヨークの高級ホテル「プラザ」にてアメリカ、イギリス、西ドイツ、フランス、日本の先進5カ国により、アメリカのドルを引き下げ、日本の円を引き下げることを合意。)がなされると、急速な円高に導かれ、バブルが生まれました。
買った土地や株の値段が上がるとみんなが金持ちになった気分になり、高級自動車やリゾートマンション、美術品、ゴルフ会員権などが飛ぶように売れました。トレンディドラマが流行し、贅沢な生活やお金の無駄遣いが“バブリー”と呼ばれるようになりました。体にフィットしたセクシーさを強調するボディコンシャスな服(ボディコン)を着て、ディスコのお立ち台で踊り明かす“イケイケギャル”も登場し、そのギャルに人気の高かったピンキー&ダイアンは「ピンダイ現象」の象徴といわれました。

ライセンスモノ、インポートモノともに売上高を伸ばしましたが、急速な円高を背景に、特に欧米を中心としたハイセンスなプレタ・ポルテがシェアが人気を集めました。いわゆるインポートブームです。その中でもとりわけイタリアのミラノを本拠地とするブランドが注目を集め、ジョルジオ・アルマーニ、故ジャンニ・ベルサーチ、ジャンフランコ・フェレは3Gと呼ばれ、世界のモードをリードしました。


1992年〜現在 バブル崩壊から現在

バブルが崩壊してみると、それまでの景気は内需拡大型によるものではなく、過剰な土地投機が生み出したまさにバブル(泡)だったことが明らかになりました。
右肩上がりで伸び続けてきた経済成長は幕を閉じ、時代は大きな変革期に突入しました。
大量生産/大量消費の時代は終わりを告げ、経済は成長型から循環型へとシフトしていきました。そして社会は少子・高齢化が進み、成熟化社会と呼ばれるようになりました。その中でインターネットをはじめとする社会の情報化が進み、それまでの製造業に代わってIT(情報技術)産業が脚光を浴びるようになりました。成熟化が進む21世紀に生き残るためには、情報化の技術を取り入れたビジネスの仕組みを構築しなければなりません。
ファッションビジネスにおいても、多様化・個性化した成熟した消費者の欲求にどのように応えられるかが緊急課題となりました。従来の手法のままで、堅実のみの経営手法では時代の変化に取り残されることになります。
ユニクロの台頭やかつては消費の主役だったデパートの相次ぐ経営破綻、グッチやコーチなどの若返りを図った老舗ブランドの再生はその証ともいえるでしょう。


これから

9・11やイラク戦争など混沌とする世界情勢と長引く平成不況の中、消費マインドは冷え込んでいます。しかし、一方で新しいモノ、新しい未来のデザインを待ち望む声もあります。あのユニクロもデザイン宣言をし、低価格だけでなく、高品質の提供を約束しています。快進撃の続くルイ・ヴィトンも続々と新しいデザインを発表しています。
服が売れる理由には5つの“適”(=時・品・量・価格・所)といわれますが、この5つを備えた感性と機能を融合したバランスの取れたファッションがこれからの時代のトレンドとなるといわれています。



参考文献:
『アパレル業界ハンドブック 東洋経済新報社』
『時代の気分を読む グリーンアロー出版社』
『戦後ファッションストーリー1945-2000 平凡社』
『そうだったのか!日本現代史 集英社』
『図解服飾用語辞典 鎌倉書房』
『経済用語に強くなる本 PHP文庫』

002 - 大久保社長とLPDの軌跡



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